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少女時代




歌う妖怪 ・石娘(いしむすめ)

むか〜し、昔、
福島県いわき市の、平(たいら)という田舎町に、骨太でズッシリ重い女の赤ん坊がおったそうな…。
抱っこした親戚のおばちゃんたちは、
「な、なんて重いんだろう!
 こりゃまるで石娘(いしむすめ)だねっっっ!」と、叫んだ。
見た目より 、抱っこすると予想以上に重いその骨太の赤ん坊は、まるで妖怪のようにそう呼ばれておったんじゃ。
さてその石娘は、生後10ヶ月の頃、おっ母が子守歌を歌うと、それに合わせてハミングする変な赤ん坊だったそうな。
更にいつのまにか「自分自身で子守歌を歌いながら眠る」もっと変な赤ん坊になってしまったんじゃと…!
ずっと後に「自分の歌を聴くと眠くなる」「鼻歌作曲しながら眠る」という習性は、この頃からついてしもうたという噂じゃ…。
おっ母が川で洗濯をしている間、石娘はひとりテレビの前へ寝かされておって、毎日NHK「みんなのうた」を見させられておったそうな。
すると1歳半になったある日、
「…宇宙時代のダンス…♪」
と、石娘が初めて言葉で歌ったもんじゃから、皆の衆はビックリたまげたっ!

更に石娘はその後も「いぬのおまわりさん」を1歳10ケ月で歌い、早くも30年後の「ノラ」ライブバージョン・イントロの特訓に明け暮れたという話じゃ。

歌う妖怪「石娘」も3歳になると、マイク真木の「バラが咲いた」をフルコーラス歌うようになって、4歳では美空ひばりの「真赤な太陽」を、たっぷり感情移入してコッテリ熱唱するようになった…という、むか〜し、昔のお話じゃ…。

福島県、浜通り地方に伝わる、歌う妖怪「石娘(いしむすめ)」のお話だったとさ…。くわばら、くわばら…。


歌謡曲黄金時代


幼稚園〜小学校時代は、歌謡曲に夢中!!
まず、歌唱力にシビレたのは、
尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」「愛する人はひとり」「さよならをもう一度」「あなたに賭ける」
和田アキ子さん「あの鐘を鳴らすのはあなた」「笑って許して」「もっと自由に」
由紀さおりさん「夜明けのスキャト」「手紙」
欧陽菲菲さん「雨の御堂筋」「雨のエアポート」
ちあきなおみさん「喝采」
ピンキーとキラーズ「恋の季節」
伊藤咲子さん「ひまわり娘」

そして、健康的なお色気ムンムン(!)に魅了されたのは、
ゴールデンハーフ 「黄色いサクランボ」「チョット・マッテ・クダサイ」
山本リンダさん「どうにもとまらない」「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」
黛ジュンさん「天使の誘惑」
安西マリアさん「涙の太陽」

さらに、妖しいフェロモン(?)に感銘を受けた(???)のは、
辺見まりさん「経験」
金井克子さん「他人の関係」
奥村チヨ さん「終着駅」

etc…

だけど、一番夢中になったのは、なんたってフィンガー5!
「恋のダイヤル6700」が初めて買ったレコードで、シングルは全てそろえた。
中でも「個人授業」「学園天国」「上級生」「恋のスキャット」はお気に入りだった。
母の兄に当たる私の伯父が常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)に勤めていたので、フィンガー5が歌謡ショーで来た時、サイン色紙をもらった思い出。(会わせてはもらえなかったけど…)



また、母親は相当な歌好きだったので、その影響もある。
台所で洗い物をしながら、母親がよく口ずさんでいた歌は、
「ダイアナ」ポール・アンカ
「オンリー・ユー」プラターズ
「ジャニー・ギター」ペギー・リー
「ラブ・ミー・テンダー」エルヴィス・プレスリー
「ウエディング・ベルが盗まれた」アーサ・キッド
「ウシュクダラ」アーサ・キッド
「テネシーワルツ」江利チエミ(パティ・ペイジ/ジョー・スタッフォード)
「青いカナリア」雪村いづみ(ダイナ・ショア)
他、「東京キッド」など美空ひばりさんのヒットメドレー。

しかし、そんな母も今じゃすっかりド演歌しか歌わなくなってしまった…。(涙)
ううぅ…何故なんだっ?
(理由「だってカラオケでウケないんだよ。英語の歌は。」本人談)

柳沼家は加藤家とは違い、音楽英才教育は一切無く、
(私の習い事は、オルガン少々・ピアノはバイエル2で挫折…)
気ままに歌を歌うだけの呑気な一家だった。


ニューミュージックの洗礼


フィンガー5が渡米してもしばらくはシングルレコードを買っていたが、やはりTVに出なくなってしまうと、いつの間にか私の歌謡曲熱も冷めていった。
時代はニューミュージック(いつまでそう呼ぶかは不明だが…)の波が押し寄せてきていた。
中学生になると、私は荒井(松任谷)由実さんと中島みゆきさんにハマっていた。
しかし小学校時代にピアノを途中でリタイアしていた私は弾き語りができず、もっぱら聴くばかりだった。

私が中学3年のある日、叔父の柳沼興吉が、古いクラッシックギターを譲ってくれた。
さっそくみゆきさんの曲にチャレンジしてみた。
当時のみゆきさんの曲は、大変ありがたいことに、初心者でも難しくないコード展開で、基本的なコードさえ覚えれば何とな〜く演奏できるという名曲ぞろいだった。

学校から帰って、2日も練習すれば、ちょっとだけ弾けるようになった。
ちょっとだけ弾けるようになったら、作曲をしたくなるのが人情(?)で、覚えたコードを組み合わせて伴奏しながら、思いつくままテキトーにメロディーを作ってみた。
このようにしてギターを持って3日目に、初めて作曲したのが「絵のない絵本」だ。

これでますます意欲が湧き、高校受験の2週間前まで(!)、ギター、ギターに明け暮れた。
(余談だが、母の父・伊勢久兵衛は、戦前まで琵琶「錦心流」の奥伝(センセイ)で、 レコードも出したそうだ。
琵琶だの、ギターだのって、弾き語りが好きな血筋らしい。)


運命の出会い・クサれ縁の始まり  


高校へ入ると父にフォークギターを買ってもらった。
しかし、これがまずかった!
進学ムード一色、受験街道まっしぐらの真面目な学び舎で、私ときたら日々ギターざんまい、授業中はお昼寝タイム、たまに起きていりゃ、作詞に熱中…、作詞に飽きたら先生の似顔絵描き、まったく「場違い」な生徒だった。
高校2年の夏、初めてのライブをやって、工業高校の男子生徒のバンド仲間ができると、母親が2回も学校へ呼び出される、そんな目立たない(学業では)、音楽少女だった。
(ちなみにその時の男子生徒の中に、東京スカパラダイスの元リーダー朝倉君がいた。PAを手伝ってもらった思い出。)
そして高校2年生の終わり、ヤマハ「ポピュラーソングコンテスト」(通称ポプコン)に「絵のない絵本」を応募した。

これによって、ポプコン応募受付店の地元いわき市の某楽器店で、店番をして暇を持て余していた加藤秀樹と出会う事になる。
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