温故知新
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地球のうた




「地球のうた」

手塚治虫氏 遺作アニメ「ぼくは孫悟空」エンディング曲

一般の人々の間にも環境問題への意識が広まりつつあった80年代の終わりの作品。
「私にできる事は何か?」と考えてみた。
私にできる事は、自分の分野(音楽)で、
人々の「感じる力」を刺激し「大切な事」に気付いてもらう為の「キッカケづくり」ではないか…と。
感じる事によって「気づき」、内なる声に揺さぶられ自発的に行動してこそ、
意味のある一歩になると信じていた。

あれから15年もの時間が経ったが、環境問題はどう変わっただろうか?
制度の上では多少の改善・努力・試みはあるが、
人々の「意識」は伴っているだろうか?
リサイクル料を惜しんでの、不法投棄をする言語道断な輩に限らず、
日々のゴミ分別すら守れなかったり、小さなゴミやタバコのポイ捨てなど配慮のない人々、
暗い世相を映してか皆のモチベーションが下がって、自分本位に流れてしまう傾向が見受けられる。
確かに真面目に考えれば考えるほど、
「リサイクルの煩雑さ」や「リサイクル自体の矛盾」に悩まされたりする事は確かだし、
また、こうも景気が悪いと、
「プラごみを洗う水道代も洗剤代も、もったいない!」
という気持ちもよくわかる。
さらに納得がいかないのは、かつてアースディを大々的に声高に叫んだ大国は、
60億人の未来より、自国の経済優先こそが正義(?)だという。
個人の非力な努力など、あまりにも微々たるもので空しさを禁じ得ない。
いっそ「水が低きに流れるが如く、人は安きに流れる」で、
「誰も見てなけりゃ悪い事もやったモン勝ち、の人間になった方が得だ」
と思ってみたくもなる。
しかし、もしも一人一人が投げやりになって、
「意識する事」「考える事」を止めてしまったら、
人間の共通意識の奥の「希望の灯」が消えてしまいそうな気がする。
だからせめて、こう考えてみる。
「面倒でもキチンとやっている自分」
「環境について心掛けている自分」
それは「誇れる自分」であり、
人としての「自信」になるだろう。
人がどうあれ、「自分に恥じぬ生き方」をする。
誰も見ていなくても、
自分の「心」が見ているから…と。
たぶん…
「環境」とは「人の心を映す鏡」なのだろう。




「少年の時間」

自己表現を模索する未分化な時期
「希望」と同じ量の「不安」
主張を上手く伝えられないもどかしさと、頑な反発、
理由のわからない虚無感、
生きてゆく孤独を漠然と知る

沸き起こる衝動や未成熟な感情を持て余し、不用意に誰かを傷つけた

大人と子供の間
成長の過程のホロ苦い時間

振り返れば、
懐かしさと、愛おしさと、幾ばくかの後悔が胸をよぎる





「やさしい雨」

OL時代、代々木駅から浜松町駅まで山手線で通勤していた時期の作詞。
あの頃は、いつか故郷へ帰ると信じていた。
ただ、仕事も面白かった頃で、Uターンする時期の見極めができずにいた。

今日も誰かが、無言の通勤電車に揺られている
わずかな感傷や迷いを
胸ポケットの奥にそっとしまって…





「Broken  Heart」

TBSドラマ「愛してるよ先生」主題歌

ローティーンの頃は、恋未満の出来事にさえ一喜一憂していた。
自分の恋も、友達の恋も、些細な動きがあれば、それはもう大騒ぎ!
好奇心が旺盛で、いろんな事が新鮮だった。
感受性が強く、心の揺れの幅が大きかった年頃の恋は、
失恋さえも色鮮やかで甘酸っぱい。





「金木犀」

その先には何もない空っぽの秋空
通りの家の垣根から
金木犀の香りがたつ
遠い日にもこんな事があったような…
ふと蘇る懐かしさの断片をつなぐ
日常の無防備な心の不意をつかれて
ちょっと切なくなる





「かぼちゃの馬車」

「夏の名残りの午後の光・乾いた空気感」の歌詞に対して、
サウンドは、「かぼちゃの馬車」=「シンデレラ」
という連想で、幻想的で夜っぽい、冷たく硬質な印象の音が中心。
これがまた不思議と合う、ミスマッチな作品。





「絵のない絵本  サーカスの光と影」

アンデルセンの「絵のない絵本」という本の中の、
道化師のストーリーからイメージを膨らませ、
中学3年で作った曲。
歌詞は高校生になってからフルコーラス書き上げた。
高校2年の時、
この曲をポプコンに応募したことにより加藤と知り合った。
(夜明け前参照)
更にデビュー以降、歌詞とメロディーを推敲し完成させた。
(サビの部分は、詞・曲とも殆ど最初に作った時と同じ)





「紅い国境」

証人は口を閉ざし
記憶は風化し
人々の無関心をいいことに
「右」と「左」の様々な思惑に歪められ
「真実」は限りなく遠くなる
「真実」は限りなく遠くなる





「砂の迷路」

豊かさに翳りが見えつつも
まだバブルの余韻に浸り
カラ騒ぎに興じていた時代
自分の事しか考えない
楽しい事しか考えない
真面目であるのは野暮ったい
熱く語るなんて格好悪い
…そんな風潮に対しての反問としての作品

あの頃予想し憂いた未来よりも
はるかに厳しい現実になったと感じる
脆弱で未確立な倫理
安全神話の崩壊
徳無き為政者の詭弁と 
偽カリスマのハッタリ戯言に翻弄され
惰性で舟は流れてゆく
諦めの風が帆を進める
戦後で最も難しい重大局面には海図も無く
砂の海を迷走する…


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