温故知新
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ゆきえの部屋  50の問答  温故知新  コレクション
 

オレンジの地球儀

はじめに

高校卒業と同時に上京して、最初に住んだのは渋谷区千駄ヶ谷五丁目。
明治通りから細い路地をほんのちょっと入ったところの、木造家屋の2階、窓からは少しだけ新宿の高層ビル群が眺められる四畳半の部屋に「間借り」して、私の東京生活は始まった。
最寄りの駅はJR代々木駅、徒歩5分。
また家から歩いて明治通りを13分ほど行けば、甲州街道、新宿通り。
大都会・新宿という町が、自分の庭のように身近にあった。
親元から離れ、毎日を自分でコントロールできる自由さが新鮮だった。

そんな都会の片隅で、
将来どうするのか?
いつ故郷へ戻るのか?
いくつかの漠然とした不安を抱きながらも、ひたむきに「なりたい自分」に向かって手探りをしていた時代。

最初の2枚のアルバムの楽曲のほとんどは、あの千駄ヶ谷五丁目の小さな部屋で作詞作曲した。
バブル期で、その家が取り壊されて駐車場になるということで引っ越すまでの8年間、私にとって一番重要な、思い出深い時代を過ごした。
時々あの場所へ行って、自分の原点と、思い出のかけらを探す。



「痛み」

AXIAミュージックオーディションでグランプリを受賞し、デビューが決まってから急いで作った曲。
初めて「僕」という表現を用い「少年」をテーマに書いた。
会社勤めは学生時代と違い、ただ朝から晩まで慌ただしく過ぎる毎日…。
曖昧さや妥協に慣れて、自分への言い訳が増えて、やりたい事も少しずつ先延ばしにしたり…。
そんな自分と、通勤の行き帰りで毎日眺める男性たちの後ろ姿を重ね書いた曲。

当初 、私のサウンドの希望はロックだったので、アレンジの加藤は、困惑し、とても苦悩した。
しかも私のあの頃の歌い方では声質が弱く、普通のロックサウンドにするには難しかった。
そこで加藤は、ロックサウンドと異なり、且つ本質がロック的である独自な表現を模索した。
そしてついに、あのような意表をつくイントロと男性の叫び声、力強い弦を淡々と刻みながら徐々に厚みを増し、私の歌を支えるという手法に出た。
これには誰もが驚いた。
私は「ロックであるか否か」を論ずる事はもはや愚かな事だと悟った。
安易に「勢いとノリ」でごまかすのではなく、
「言葉の弾丸」が次々と胸に撃ち込まれてきて、知らず知らずに高揚させられてゆく演出、「ジャンル不問」の加藤サウンドだった。

実はクレヨン社の音楽制作現場は、皆さんが思っているようなのどかな雰囲気ではなく、
全く逆の個性のふたりが、お互いに主張しあい、かなり激しくぶつかり合う格闘技的なユニットだが、「痛み」は「目からウロコ…」のアレンジで、私は文句などひとつもなかった。
「痛み」がキッカケとなり、、クレヨン社の世界に「少年」というテーマを導入させる事になる。

ちなみにイントロの「シャキーン」という音は、加藤がノコギリの音をサンプリングして作った音。
歌詞カードの「都市風景」の読み方は校正ミスで、正しくは「タウン スケイプ」

「オレンジの地球儀」

加藤のお姉さんの結婚式で歌をプレゼントする、ということになったのがキッカケで作った曲。
お姉さんは同じ高校の出身なので、多感な少女期を過ごした高校時代をテーマにした。
作曲する時、あらかじめ加藤が得意とするオーケストラ的なサウンドを念頭におきながら、歌詞とメロディー、ほぼ同時進行で作っていった。

少年の日
少女の日
たとえその日は悩んでばかりだったとしても
いつしか…いつしかオレンジ色になっている事に気付く
かじってみれば
シュワッと甘酸っぱい果汁が胸に溢れて
目に沁みたりする
目に沁みたりする

「かぎとりぼんのはなし」

加藤と最初にオーディションに応募した、リットーミュージック主催「第5回 オリジナルテープコンテスト」で「奨励賞」を受賞した曲。
加藤がバイト先の知り合いの人の子供のたちの声をサンプリングさせてもらい、サウンド・コラージュで子供の頃の心象風景を描いた作品。

私の母親は近くのスーパーにパート勤めに出て、家には祖母がいた。
私が小学生になると祖母が腎臓病の悪化で入退院を繰り返すようになり、やがて5年生の秋に祖母が亡くなったので、子供時代はほとんど「かぎっ子」だった。
その時代を書いた詩をもうひとつ…

青インクを溶かした夕暮れの空気
木の枝が騒ぎはじめる
風がブランコにのる

街灯は一番近くに灯る星
ポケットの底に灰色のまるい石
垣根の下で拾った花びら
腕にかすかに残る子犬のぬくもり

空の色はだんだん深くなる
深くなって宇宙へ続く

だから
子供だった私が手探りしたのは
ママの音がする時間

お皿がふれあう音
バターが溶ける匂い
温めたミルク

鍋の中で野菜が喋る
蒸気の中のお伽話
コンロの炎の青い花の上…

テレビが歌い、優しく重なるハミング
ガラスのコップで矢車草も揺れる

いつもママがいればいいと思った
この夕べのまま時が止まっていればいいと思った

だけど
カーテンの隙間から
淋しい夜が覗いている気がした…

「THE  CLASS  OF  1976」

「1976年の卒業」というタイトル。
今はもうない木造校舎の小学校の思い出。
校庭の片隅に銀杏の木があった。
光の中に少し淋しい翳りがある秋が、一番好きな季節。
今でも秋には、近所の銀杏並木を見に行く。
金色に染まった銀杏の木の下で枝を見上げて、舞い降りる木の葉を眺めるのが好き。

「THE  CLASS  OF  1976」は、スカートをなびかせながら風を切って走ってゆくイメージで、疾走感のあるアレンジ。
冒頭の子供の声は、レコーディング当時勤めていた「ダイエーソフトライン商品本部170デビジョン」のOLたちの声。
回転数を速くして幼い声に変化させたもの。

「ひかりのくに」

専門学校に通っていた頃、実家へ帰る特急代も惜しんでデザインの本等を買っていた為、帰省する時は上野駅からいわき駅(当時は平駅)まで、約4時間かけて各駅停車で帰った事も度々あった。
朝6時頃の上野発の電車に乗れば、凛とした早朝の空気の中で、微睡みながら目覚めてゆく沿線の風景を眺めながら、作詞をしたり学校の課題のアイデアを考え夢中になっていると、4時間なんて案外短かった。

特に冬休みの帰省の時は、朝焼けの上に描かれた、 冬枯れの木々のシルエットを見るのが楽しみだった。
いろんな木の形、枝の形は、まるで逆さまに立てた魔法のほうきのようだった。
電車が各駅に停車しながら徐々に故郷へ近付いて行くと、張りつめた都会の表情から、少しずつ素顔の自分へ戻ってゆくような気がした。

「辻が花浪漫」

「AXIAミュージックオーディション」でグランプリ受賞

百人一首の権中納言定家の恋の歌は、
江戸時代の遊郭で遊女たちが、足が遠のいてしまった男を呼び寄せる為に「まじない」として用いていた。

遊女は、禿(かむろ・遊女の身の回りの事を手伝い、見習いをしている6歳〜14歳の少女)を遊郭の大門へ立たせ、
十能を叩きながら、「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに」と上の句のみを歌わせ、
「待ち人が来れば下の句をしんぜましょう」と願を掛けた。
その後もし願いが叶えば、再び禿(かむろ)を大門へ行かせ、
「焼くや藻塩の身もこがれつつ」と下の句を歌わせた。

また「想う人の意中を知る恋のまじない」として
四辻で
「もも辻や四辻がうらの一の辻
 占まさしかれ
 辻占の神」
と三度唱え、目の前を通る三番目の通行人の話の内容で吉凶を判断するというものもあった。

「辻が花浪漫」はこの二つのまじないをテーマに、「会いたい」気持ちを綴った恋歌。
ちなみに、幼女の声は全て私の声の回転数を速めたもの。
和の世界を加藤の打ち込みサウンドでドラマチックに演出。

「La  me`re ママ」

小学生時代は部屋が南西にあったので、一 人で留守番をする夕暮れは、部屋がオレンジ色に染まった。
西陽が部屋に満ち、やがて淋しく暮れてセピア色に沈んでいく様は、子供心に切ないほど美しかった。

「La me`re ママ」の詞にある「シャンデリアの 涙硝子」は、長さ6cm幅4cmほどのドロップ型の淡いサーモンピンクの硝子だった。
  壊れたシャンデリアの一部で、私が5歳の頃、向かいの家に住んでいたおばさんにもらった宝物だった。
「糸の切れた首飾り」も同じくそのおばさんにもらった物で、12mm玉のローズクォーツを連ねたネックレスだった。
いつのまにか子供の日の宝物はどこかで無くしてしまった。
時は流れて
時は流れて
時は流れて
全ては移ろう

西陽で部屋が染まると、たまらなくノスタルジックな気持ちになる。

「月の媚薬」

神秘的なモノに興味があった頃の詞。
「榛(はしばみ)…果実は食用の落葉低木で、魔術で使われる」
「金星の魔法円…愛の呪術に使う魔法円」
などのアイテムを詞に入れている。

「月の媚薬」は、クレヨン社のメインのテーマからは外れているが、個人的には詩として多く書いており、後に5thアルバムの中の「Voice」「浅き夢見し」「哀しみの引力」等の作品に続いてゆく。

心の色は何色もあって、色が多いほど人生を豊かに彩る。
純真さの色、無邪気さの色、初恋の色、青春の色、思い出の色、恋の色、喜びの色、そして哀しみの色…。
その中の恋の色の表現のひとつに、「月の媚薬」「Voice」…等がある。

恋は猿でもできるが、エロティシズムは人間だけがもつ精神のメカニズムで、知力と想像力による構築。
しかし 現在「性」が表層化し、大っぴらに情報が氾濫し、エロティシズムは失われつつある。

巷の、簡略化された即物的な関係は、エモーショナルな官能を色褪せさせてしまう。
「お手軽な相手」と戯れ、スピーディーに恋のプロセスを経て短く終わる。
そして相手を変える度に、新鮮さやときめきを失い、センシティブなエモーションを鈍らせてゆく。
感覚が鈍感になって心が乾くから、また次の恋を求めて「お手軽な相手」と戯れる…。
心の中の「恋の美酒が湧く泉」がどんどん減ってゆく。
この悪循環。
社会に蔓延する現代病。
幼稚で無理解で思いやりのない「性」は、気付かぬ間に深いところで互いに傷つけあう。

「恋の美酒が湧く泉」は人間に与えられた神秘。
むやみに汲んで使いきってしまえば枯渇するし、だからと言って安易に薄めて使えば酔えなくなるだけ。
重要なのは恋の「質」。

感覚を研ぎすまして、エモーションを高め合い、
互いの心の隙間に愛を注ぎ、
「恋の美酒が湧く泉」を満たし合える関係が大切。

「航海図のない船」

ずいぶん前に閉店してしまったようだが、私が高校を卒業したばかりの頃、友達と行った海岸通りの喫茶店。
船内をイメージしたウッディな店で、初めてなのに懐かしいような、とても落ち着く雰囲気だった。
実際のサイドボードの中は洋食器とカップ類が飾ってあったが、作詞の際、私が当時ハマっていたアンティーク趣味によりビスクドールに置き換えた。

この曲は、加藤が先に「カノン風」にメロディーを作り、追って私が詞を付けるというイレギュラーな作り方をした作品。

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