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2008年6月6日



2008年6月6日に起こった出来事は、ちょっと悲惨なうえに尾篭な話なので、あんまり思い出したくないし、書きたくないんだけど、正に「九死に一生を得た」この日を忘れないためにも、今後の自分を戒めるためにも、そして、これを読んでくれた人がとっさのときにに少しでも役に立つように、その前後の事実も含め、なるべく忠実に客観的に書き記しておこうと思う。


前日

その週は忙しかった。前日の6月5日も、締め切りの劇版音楽制作に徹夜で追われていて、昼ごろようやく完成した。
郵便局にCD-ROMを出しに行って、戻ってみたら午後1時を過ぎていた。
ここでちょっと昼寝をしたいところだったんだけど、この日の午後はある女優と赤坂レッドシアターで「おしるし」という芝居を観に行く約束があった。
胃の痛みはなかったけど、胸焼けがしてたので、太田胃酸を飲んで、飯も食わずに赤坂へと出かけた。

5月の始め頃から胃に鈍痛があった。たいした痛みでもなかったので市販の胃薬でお茶を濁していた。でも、5月の後半になると痛まなくなり、逆にこんなふうにひんぱんに胸焼けを起こすようになっていた。

芝居はおもしろかった。徹夜明けなので居眠りを心配していたけど、最後まで楽しく観れた。
でも途中、胃の中を何かが移動するような感覚が何度かあって、「あれ?」とは思ったけど、別に気にもとめなかった。

芝居が終わり一杯やろうということになって、千代田線で湯島に出た。
けど、まだ5時前だったので、目ぼしい店が開いておらず二人でぶらぶらと御徒町方面へと歩いた。
結局アメ横へ出てしまったので、オレの好きなガード下のジャンキーな居酒屋「大統領」へ向かった。
そこでホッピーとデンキブランを大いに飲み、串焼きともつ煮と鴨の燻製を大いに食い、芝居と映画の話で大いに盛り上がった。
さらにアメ横通りにある「ひむろ」で味噌ラーメンを食い、帰路についた。

こんなふうに酔っ払って帰ってからのことはいつものように憶えてないが、たぶんすぐ爆睡したんだと思う。

そしてこんな生活がオレのいつもの日常だった。


当日

そして2008年6月6日の朝を迎えた。
体調は良かった。便もいつものように快調だった(確認はしてないがたぶん異常はなかったと思う)

ふと、オレの飼ってる熱帯魚の水槽の汚れが気になり掃除をすることにした。
水槽の掃除が終ると、なぜかレンジ周りの汚れが気になり、せっせと掃除を始めた。
それから郵便物を出しに行って、ツタヤにDVDを返却し、OKマートで野菜と肉を買い、家に戻って野菜と肉を刻んで、豚汁を作り始めた。

とろ火で豚汁を煮込みながら、返事を滞らせているメールを書いてるとき、不思議なことに気づいた。
ひとつは、ふだんはずぼらに過ごしてることを、この日に限ってこんなふうにちゃんちゃんと、掃除したり、やり残したことをかたずけているということだ。
もうひとつは、そろそろ小腹が空いてくるはずなんだけど、ちっとも空かない。豚汁の味見とかしそうなもんだけど、その意欲も沸かない。

さらに不思議だったのは、ゲップである。
いつものように朝から何も食べてないのに、何か食べたべた後のような、特に肉系の料理を食べた後のような、腹は空いてるはずなのに・・・「きのうの大統領のつまみがまだ未消化なのかなあ・・・」などとのんきに考えていると、急に激しい便意に襲われトイレへと駆け込んだ。

下痢便だった。なんとなくいつもと様子が違うので便器を覗いてみたら真っ黒だった。黒い便が良くないことはオレにもわかっていた。愕然とした。タール便とはよく言ったものだ。尋常な黒さではない。


吐血

すっかり気落ちして再びPCの前へ座ると、今度は激しい嘔吐感が襲ってきた。またトイレへ駆け込むも間に合わず、洗面所に吐いた。
大量の血と、レバー状の血のかたまりだった。
「そんなわけがない」
洗面所の大量の血をながめながら、オレは声に出してそうつぶやいた。

なんだか泣きたかったけど、声に出して笑ってみた。
鏡を見ると真っ青な顔をして口から血を流し、薄ら笑いを浮かべてるオレがいた。
その顔を見た瞬間、激しい貧血に襲われ洗面所の床に倒れこんだ。

体中から滝のように冷や汗が流れた。
薄れゆく意識の中で「どこかに電話!」と思い続けたが、一方で「そんなわけがない!」とも思い続けた。

そのまま5分ぐらい経っただろうか?急に気分がスッとして、すくっと立ち上がれた。
ここですぐに電話をすればいいものを、オレはいきなり洗面所の掃除を始めた。血しぶきが飛び散った鏡や床やハンドソープまで丁寧に掃除した。
さらに服を脱いでシャワーを浴びた。いつもより丁寧に体を洗った。
なんでこんなときにそんな冷静なことを始められたのか?今も理解できない。

そして新しい服に着替え、電話の子機を持ってソファーに座った。
「どこに電話をしようか?」そのとき電話が鳴った。
彼女からだった。
お互い独身だけど、オレと彼女は十数年の付き合いになる。
安心した。
オレは彼女に「すぐに家に来てくれ」と言って電話を切った。
なぜか、吐血したことは言えなかったのである。

彼女が来てくれるという安心感からか、そのままソファーに横になったようで、その後の意識は曖昧である。

以下は彼女に聞いた話をもとに書き記すことにする。


緊急入院

彼女が家に着くとオレは彼女に背中を向けたままソファで寝ていたらしい。
さっきの電話の呂律がおかしかったので、彼女はオレがいつものように酔って寝ているんだろうと思ったらしい。
彼女が声をかけるとオレは背を向けたまま、豚汁に味噌を入れてくれるように頼むのだという。しかも味噌の入れ方をこと細かに指示するのだという。
吐血のことなど一言も言わずに。

そんなふうにして背を向けて沈黙のまま30分ほど過ぎたころ、やっとオレが今日吐血したことをポツリと漏らしたのだという。
慌てて彼女はオレの顔を覗き込むと、今までに見たこともないような蒼白さだったという。
急いで彼女はネットで吐血を調べると、「緊急を要する救急車を呼ぶ事態」だった。救急車を呼ぶことをオレに告げると、「恥ずかしいからやめてくれ!」と激しく抵抗したらしい。

そこで彼女はオレの行きつけの病院に電話をしてくれた。
かつて循環器科の検査でコレステロール値が高いということで、3ヶ月ごとに薬をもらいに受診を続けている病院である。
病院側は、今専門の担当医がいないけど、緊急を要するので大至急来てくれ、とのことだった。

彼女は外へ飛び出し、タクシーをつかまえてマンションの下で待たせ、寝てるオレを強引に連れ出し、タクシーに押し込んだのだという。
途中マンションのエレベーターで何度も倒れそうになった記憶はあるけど、タクシーの中の記憶は全くない。


出血性胃潰瘍

しかし病院に着くと意識がはっきりした。記憶も鮮明である。
緊急処置室には消化器科のK先生(後にオレの主治医となる)が待ち受けてくれていた。
担当の専門医がいないとの話だったのだが、呼びつけられたのだろうか?
オレは座ることもままならず、すぐにストレッチャーに寝させられた。

先生はオレの目を赤んべえするなり、開口一番、「輸血が必要です!あなたの症状は今飲んでる薬により胃に潰瘍ができて、それが穿孔してして血管を切って出血したものです!」と言い放った。
彼女が電話で容態や飲んでる薬の情報を伝えてくれていたので、検討がついていたらしい。

後で聞かされたことだが、オレが飲まされていたアスピリン系の薬のたぐいは、胃の防衛機能を阻害して潰瘍を形成しやすいのだそうだ。
しかも、これらの薬に由来する潰瘍の特徴は、上腹部痛などの症状を伴わない例が多いので、治療を受けないまま悪化して出血を起こすことが多いんだそうだ。
どうりで胃も痛まなかったわけだ。しかも運悪く太い血管の上に潰瘍ができて、しかも薬のおかげで血はサラサラなもんで、ピューピューと勢いよく大量出血となったのである。


二度目の吐血

看護師さんたちがオレの両側であわただしく血圧を測ったり採血をするなか、先生はオレに輸血のインフォームドコンセントを始めた。
確立は非常に少ないけど将来予想不能なリスクはあるという。
しかし輸血しないと命に係わるというので、しかたなく同意した。

次にオレのストレッチャーはレントゲン室へと運ばれた。
天井の蛍光灯が次々と早く流れる。ふと目を落とすと先生も看護師さんも走ってるのだ。「ああ、緊急なんだなあ」と改めて思った。

レントゲンはストレッチャーに乗せたまま撮られたが、「横を向いて」や「腰を上げて」の指示に体が思うように反応できない。
そんなふうにもがいていたら、また嘔吐が襲ってきた。すかさず看護師さんが顔の横にお盆のようなものをくっつける。
本日2度目の吐血である。最初と同様に大量だった。

レントゲン室を出ると内視鏡室へと向かった。2度目の吐血をしたからだろうか、さっきよりスピードが速い。何か怒号が飛び交う。ストレッチャーと一緒に走っている足音も増えた。


内視鏡手術

内視鏡室では手術着を着た、いかにもベテランそうなI先生が待ち構えていた。この先生もわざわざ呼び出されたのだろうか?時刻は午後8時を回っていた。

喉にスプレーされマウスピースをはめられ、内視鏡が喉の奥に突き刺さる。
容赦なく嗚咽がこみ上げる。
「力を抜いて!」「楽にして!」と何本もの手がオレの背中をさすったり、叩いたりしながら励ましている。いつの間にか内視鏡室は、研修医らしき若い先生たちで溢れかえり、I先生の手技とモニターを真剣に見つめている。
この病院は教育医療を実施してるそうだ。やっぱり緊急の内視鏡手術は珍しいのだろうか?

「ああ、これだ」とI先生。その日何も食べてないのと、2度目の吐血の直後だったので、潰瘍はすぐ見つかった。
「クリップ」と言いながら、手早くワイヤーを挿入するも、「やっぱりレーザー」と言ってワイヤーを引き抜き、別なワイヤーを挿入する。どうやらオレの潰瘍はレーザーで焼かれて止血されるようだ。
ドン!という音がして、止血終了が告げられた。
手早かった。内視鏡は初めての経験にもかかわらず、なんて上手な先生なんだと感激した。


九死に一生を得る

内視鏡室を出たオレのストレッチャーは、さっきと打って変わってソロソロとエレベーターに載せられゆっくり4階の病室へと移動した。

ほどなく、最初に診てくれたK先生が笑顔で病室に入ってきた。
「良かったですね。三度目の後だったら助けられなかったかも知れません」
オレはこの「助けられなかったかも」という言葉にぐっと来た。

「そうなんだ!オレは助けてもらったんだ!こんなつまらないオレを!こんな好き勝手に生きて不摂生し放題で、いつくたばってもおかしくないオレを!みんな必死で助けてくれたんだ!」
オレを病院に連れてきてくれた彼女の慌てふためいた顔や、ストレッチャーを急いで移動させてる先生や看護師さんたちの真剣な表情、内視鏡のときオレの背中を励ましてくれたたくさんの手が一度に蘇った。

オレが泣きそうになるのをこらえてる間も、先生の話は続いていた。
血液の5分の2を失ったにもかかわらず、血液の値は悪くないので、今夜の輸血は見合わせるということ。
3日間は安静の絶飲食で、その後の検査の経過で食事が再開できるということ。
そして、潰瘍の出来た場所を聞いてオレはぞっとした!
噴門下のくびれの上側なのだという。
7年前胃がんで他界したオレの母親の腫瘍の位置と寸分違わず全く一緒の場所だった!
「もっと真面目に生きろ!」という天国の母からの最終警告だったのだろうか?

その夜、オレは今生きてるということ、生きさせてもらってるということに、思いっきり感動し、感謝しながらいつの間にか眠りについた。





以上が2008年6月6日に起きた出来事です。
その後、血液は驚異的な回復力を見せ、輸血の必要はなくなり、3日後の検査でも止血部位の順調な回復が確認され、10日後の6月16日退院を果たしました。
入院中や退院後も書き記しておきたい出来事や心境がありますが、また別の機会に書くことにします。

2008年6月21日 加藤秀樹。




11日間過ごしたベッド





4日間の絶食の後、はじめて出された食事




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