とろろ大根 とろろ大根という料理を聞いたことがあるだろうか? とろろ大根と言っても大根の山かけではない。大きく切った大根を煮込んで、とろろ昆布をかけるというシンプルな料理である。 ふろふき大根や、おでんの大根と似たような代物だが、それより手軽だし、見た目が大胆でうまそうだし、何と言っても大根ととろろ昆布の風味がよく合うのである。 作り方のポイントとしては、とにかく大根をでかく切ることである。太いところで15センチ、細いところは20センチぐらいあっていい。 柔らかくアツアツに煮込んだ大根は、崩さぬよう慎重に鍋から取り出し、そっと皿の上に置く、このとき必ず大根は横向きに寝かせる。その上から煮汁をたらし、とろろ昆布をたっぷりとかける。 食べるときは、透き通った大根に縦にスッと箸を入れる。繊維に沿って切り崩すのもポイントだ。 切り崩した大根に、とろろ昆布と煮汁をからめるようにして口にほおばり、ハフハフしながら溶けてゆく様を味わう、まるで完熟メロンのようなジューシーさだ。 僕にとってとろろ大根はビールのつまみと決めている。日本酒の方が合いそうだけど、必ずビールなのである。 そしてとろろ大根を食うたびに、とろろ大根に出会った日のことを思い出すのである。 縁日のおばちゃん そのころの僕はミュージシャンを目指すフリーターで、恐ろしく貧乏だった。 貧乏にもかかわらず、無性にビールが飲みたくなる日があり(そのころの僕はビール以外は飲めなかった)たまに駅前の酒屋で缶ビールを2本だけ(500mlを2本だけと決めていた)買って帰ることがあった。 その日も缶ビールをぶら下げて帰り道を歩いていると、都電沿いの小さな寺の前でおでんの屋台を見つけた。 そこの寺では月に何度か縁日があって、いつもいくつか露店が出ていた。でもその日は時間も遅かったせいか、金魚すくいやアンズ飴などの子供向けの露店は店じまいしていて、おばちゃん一人の屋台だけがさみしそうに営業していた。 それまで僕は気にとめもしなかったけど、その日は香りに誘われたのか、急におでんが食いたくなった。 「あのう、おでん持ち帰りできます?」 こっちが尋ねてるのにおばちゃんは答えようとせず、僕をジロジロと見ると、 「それビール?」 と逆に僕に尋ねてきた。 「ええ、まあ・・・」 僕が口ごもると、 「ここで飲んでいきなよ」 と言うと、さっさとおでんの準備を始めてしまった。 僕は得したような、不安なような複雑な心境になりながらも、とりあえず自分の缶ビールを開けて飲み始めることにした。 「これ売り物じゃないんだけどね、食べてみて」 とおばちゃんは言うと、皿に盛った巨大で豪快な物体を差し出した。 「はい、とろろ大根」 初めての出会いである。しかし僕はますます得したような不安なような気分になった。二十そこそこの貧乏フリーターである。それまで「これ売り物じゃないけど食べて」などと言われたためしがない、それも初対面の人にである。 売り物じゃないってことはタダっていうことだろうか?それとも売り物じゃないぐらいの貴重品だから後でたっぷりぼったくられるんだろうか? 不安な心境にかられながら、とろろ大根を口に運ぶと、僕は思わず「うまい!」と叫んでしまった。ほんとにうまかった。 「そうでしょう」 そのときおばちゃんがたばこをくゆらせながら、目を細めて微笑んだ顔は今も忘れない。 おばちゃんは小柄で六十は過ぎてただろうけど、小粋で色っぽくて、品のいい顔立ちをしていた。 「今日はがんもと牛すじもおいしいよ」 と勧めるおばちゃんに、僕は意を決して言ってみた。 「今日オレ二千円ぐらいしか持ってないんだ・・・」 「わかってるわよ!そんなこと」 初対面の僕の何をわかってるんだか知らないけど、よほど貧相に見えたのだろうか、でも所持金を伝えたことだし、おばちゃんに勧められるままにおでんを食うことにした。実はそのときの僕の財布には二千円も入ってるかどうか怪しかった。 おばちゃんは話し好きだった。戦後は浅草六区で商売していたこと、旦那は露店商の元締めで、このあたりの縁日の露店を取り仕切っていること。毎月五のつく日にはここで店を出してること。おでんは家で仕込んで、屋台と一緒に若い者に運ばせてること。 ずっと話を聞いていたかったけど、ビールも空になったので、恐る恐る「じゃあ、そろそろ・・・」と言いかけると、おばちゃんは計算もせず「五百円でいいよ」とあっさり言うのだ。それじゃあんまりと恐縮してると「そんなのいいからまた寄ってよ」と僕を追い出した。結局最初から最後まで客は僕ひとりだけだった。 「またビール持ってくるんだよ!」 帰りがけの僕の背中におばちゃんが叫んだ。僕も明るく返事をして家路に着いた。 ヨーヨー釣りの兄ちゃん 次の五のつく日は日曜日だった。バイトも休みだったので、早めにおばちゃんの屋台へと出かけた。 今度は金を少し多めに持っていったけど、おばちゃんの言葉に甘えてまた缶ビールを二本ぶらさげて行くのも忘れなかった。 縁日は休日の夕方ということで親子連れで賑わっていた。ところが、いつもの場所におばちゃんの屋台は出ていない。 「おでん屋のおばちゃんまだ来てないの?」 僕は暇そうにしていた隣のヨーヨー釣りの兄ちゃんに尋ねてみた。 「ああ、おばちゃん入院しちゃったんだよね」 彼の話によると数日前のことだという、以前から腎臓が悪かったらしく入院を勧められていたけど、今回は旦那にきつく言われてとうとう入院させられたのだという。 僕は急に悲しくなった。もちろんあてにしてたとろろ大根を食えなくなったからだけではない。 僕は持ってきた缶ビールを兄ちゃんに一本渡して二人でおばちゃんの回復を祈って乾杯した。 兄ちゃんはおばちゃんの旦那に雇われていて、おばちゃんの屋台を運ぶのも彼の仕事だったらしい。この仕事は始めてまだ二年目だという。 その後も五のつく日に縁日に出かけてはみたが、おばちゃんの屋台を見かけることはなかった。 ヨーヨー釣りの兄ちゃんは相変わらず暇そうだったけど、彼の話によるとおばちゃんの入院は長引きそうという話だった。 そんな兄ちゃんの屋台もいつの間にか姿を消した。そして僕もやがてその町を離れていった。 しばらくして五のつく日にそこに足を運んでみたら、露店はおろか、寺自体が区画整理でなくなっていた。 どうしてあの日おばちゃんが初対面の僕にあんなにおまけしてくれたかはわからないままだけど、おばちゃんに教わったとろろ大根は、今も僕の中では健在である。