エッセイ
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ナポリ定食


初めてのペペロンチーニ

忘れもしない、僕が始めてアルデンテなる食感のスパゲティーを食べたのは、十八の春のことだった。
 その年僕は美術大学受験に失敗して、浪人生活を始めていた。
「この近くにおいしいパスタ屋があるんだ、ランチ一緒に行こうよ」
 予備校のデッサン室で新顔の僕に声をかけてきたのは、長い髪をした三浪目のキザな男だった。昼飯のことをランチとのたまう男に出くわしたのもその時が初めてだった。
 美大受験の予備校は三浪四浪がザラで、顔見知りが多いせいか、全く緊張感がなかった。特にデッサン室などはなごやかな社交場と化していた。
「えっ、パスタって何?」
「知らないの?スパだよスパ、スパゲティー」
 キザ男はあきれるようにそう言うと、アメリカ人みたいに肩をすぼめた。
僕はあまり気乗りはしなかったけど、とりあえず付いて行ってみることにした。キザ男には同じ三浪目の大人しそうな彼女がいて、彼女も一緒に来ることになった。
連れて行かれた店は、当時としてはなかなかオシャレな店で、テーブルには真っ白いクロスがかかっており、天井からカモメの模型が数羽ぶらさがってふわふわ揺れていた。福島から上京したばかりの田舎者の僕は少々というより、かなり腰が引けた。
「ここのペペロンチーニおいしいよ」とキザ男は勧めた。僕はその可愛らしい名前からてっきりプリンとかメロンとかデザート系を想像した。
「オレ、甘いものはちょっと・・・」そう言うとキザ男は彼女と顔を見合わせて笑った。「知らないの?スパだよスパ、スパゲティー」と本日二度目のセリフをくり返すと得意そうにペペロンチーニのウンチクを語りだした。キザ男はパスタ関係には造詣が深いようだった。彼の説明はよくわからなかったけど、面倒くさいので僕はそのペペロンチーニとやらを注文した。そして出てきたペペロンチーニに向かって、思わず僕はこう叫んだ。
「あれえ!赤くねえんだな、これ」
「おい、よせよ、喫茶店のナポリタンじゃないんだから」キザ男は周囲を気にしながら、小声で僕をたしなめた。
しかし僕はそのスパゲティーを口に入れたとたん、あまりのショックに、さっきよりも大声で叫んでしまった。
「何だこれー!生だっぺー!」 思いっきり福島なまりの入った僕の大声に、周囲の客も振り返って僕を見た。
「バカ!静かにしろ、なに言い出すんだ!」さすがのキザ男も大いに取り乱した。
「んだって、これ固いんだもん」
「それはアルデンテっていうゆでかたなの!それでいいの!」キザ男は僕をにらみつけながら吐き捨てるように言った。
「ああ、恥ずかしい」キザ男の彼女も真っ赤になってうつむいてしまった。
 それから僕ら三人は会話がはずむこともなく、黙々とスパゲティーを食べ終えた。

アルデンテな食感

キザ男が好んで食べていたスパゲティーのゆでかたはアルデンテと呼ばれるもので、パスタの中央に針ほどの芯が残っている状態を言うのだそうだ。適度な歯ごたえがあり、世間ではパスタがもっともおいしく感じられると言われている。
 しかし、パスタに限らず、幼いころから慣れ親しんだ食感や味の好みはそう簡単に変わるものではない。
 僕も最近になってようやく、ボンゴレやぺペロンチーニなどのあっさり系パスタは、アルデンテもうまいと感じるようになってきた。でもナポリタンだけは今でもアルデンテでは食べられない。
 小学生のころ給食で食べたナポリタンが僕のナポリタンの原形である。そのころの給食はフォークも箸もなく、先割れスプーンだけだったので、スプーンだけでもプチプチちぎれるようにスパゲティーは恐ろしく柔らかくゆでてあった。総菜パン屋で売っている焼きそばパンのように、スパゲティーが主食というより、ナポリタンはパンのおかずなのだった。
 そのころ母親が作ってくれたナポリタンもまたしかりで、必ず一緒にご飯が出てきた。濃い味付けにしたナポリタンを、ご飯の上に乗せて食べるためである。
 やはり僕にとってのナポリタンはそういう代物でなければならない。

ナポリ定食

その後キザ男から二度とランチの誘いがなかったことは言うまでもない。
でもこのランチを機会に、昔から僕の好きな柔らかくてボリュームのあるナポリタンが無性に食べたくなった。
そもそも浪人生である。オシャレかもしれないけど、あまり腹の足しにならぬものを毎日食ってるわけにはいかないのである。やはり若いころは質より量だ。
 さっそく次の日、僕好みのナポリタンを探して昼休みに歩いてみた。すると意外にもあっさりと見つかった。予備校から少し坂を降りたところにあるカウンターだけの小さな定食屋にそれはあった。その名もナポリ定食(だったと思う)。この定食との出会いは感動的だった。
 ナポリ定食は、どんぶり飯と豆腐のみそ汁にお新香、そして、ナポリタンだった。そのナポリタンはたっぷりのタマネギとハムをケチャップで甘辛く炒め、その上に目玉焼きが乗っていた。もちろんスパゲティーのゆで方は僕好みにしっかり柔らかくゆでてあった。
この日に出会ったナポリ定食はまさに、貧乏浪人生の味方だった。でんぷん対でんぷんという反則的な組み合わせ、腹持ちの良さとコストパフォーマンスでは群を抜いていた。
 僕の予備校時代の昼飯はこのナポリ定食ライス大盛りと、立ち食いそば屋でのてんぷらうどんに大盛りライス付きが定番だった。

懐かしのナポリタン 

そもそも、ナポリタンというパスタはイタリアにはないのだという。ナポリタンはオムライス同様、日本の食文化に応じてアレンジされた和風洋食の傑作なのだ。
だけど今はどこのパスタ料理屋も、アルデンテやニンニク風味など本格的なイタリアンを目指す店ばかりで、日本の洋食ナポリタンはだいぶ影の薄い存在となってしまっている。
そんなわけで僕はどうしても食べたくなったときは、ナポリタンを作ってくれる洋食屋やファミレスまで出かけてしまうのだが、それでも昔の記憶にある懐かしのナポリタンにはなかなか出会うことができない。
でも、いざ自分で作ろうとすると、本格的といわれるパスタよりも、案外手間も材料もかかってしまうので、いつも二の足を踏んでしまっていた。
そこで今回はこれを機会に久しぶりにナポリタンに挑戦である。昔の味の記憶をたどりながら自分なりに再現してみた。
ポイントはアルデンテにはしないことと、なるべくポピュラーな材料を使うことである。

あれから二十年以上たつが、あの定食屋は健在である。今でも代々木で仕事があるときは、ときどき立ち寄ってみることにしている。
メニューからナポリタンが消えて、店の人も入れ替わったけど、その安さとボリュームは相変わらずだ。
 でも若き日のように全部を食べ切れなくなった自分がちょっと哀しい気がする。

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