エッセイ
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哀愁のリンゴジャム 


コミックソング


 忘れもしないおととしの冬、その日の僕は猛烈なインフルエンザに襲われて、うんうん唸りながら寝込んでいた。そこに突然の電話。
「加藤君、オレを助けてくれ!」
電話の声は長いこと世話になっている某ラジオ局のMディレクターだった。「明日オンエアなんだ、頼めるの君しかいないんだ!」
不吉な予感をおぼえた僕は、大げさな咳をしながら、思いっきり体調不良を訴えてみた。
「平気、平気、番組ジングルだから短いのばっか、十曲あるけど」
「じゅっ、十曲ぅ!明日までぇ!」
「頼むっ!ここはひとつ、オレのために死んでくれ!今からファックス送る」
 Mは訳の分からないことを言うと、とっとと電話を切ってしまった。そして送られてきたファックスを読んだ僕は、その場で気を失いかけた。なんと依頼してきた曲はすべてコミックソングだったのである。
 
 僕は曲を作ることで、その夜ほど悲惨な思いをしたことがない。
それは猛烈なインフルエンザのせいだけではない、一晩で十曲作らされたせいだけでもない。
体中が痛くて意識も朦朧としているのに、ガチョ〜ンとかハラホレヒレハレ〜とかの間抜けな効果音を、へらへら薄ら笑いを浮かべて作らねばならなかったからだ。
ひどく苦しいのに笑顔をつくろうことほどつらいことはない。高座の途中で突然耐えがたい便意に襲われた落語家のような心境である。
せめて曲の発注が、怒りや苦悩の曲ならば、これほど悲惨な思いをせずに済んだであろう、いや、名曲ができあがっていたかもしれない。
人は体調や心境に合わないことはすべきではないと、その時しみじみ悟ったものである。その後、僕のインフルエンザがますます悪化してしまったことは言うまでもない。

マタイ受難曲

音楽療法の分野では、悲しいときは悲しい音楽を聴いた方が、心はより癒されると言われている。そうやって音楽と感情を同調させてから癒し系の音楽を聴くと、その効果は抜群なのだそうだ。
つまり悲しいからといって、無理に楽しい曲を聴いて元気になろうというのは、やめといたほうがいいということだ。ヘタをすると僕のように体調不良を起こしかねない。
彼氏に振られた夜は、迷わず中島みゆきを聴いてたっぷりと涙するのである。その後に坂本龍一のピアノでも聴いて眠りにつけば翌朝はスッキリである。
一方イライラしたりムカムカしたときは激しい曲を聴くのがいいそうだ。
彼女とケンカしたり、上司に怒鳴られたときは、すみやかにパチンコ屋に駆け込んで軍艦マーチを鑑賞するのが賢明である。ついでに出玉に恵まれれば、帰り道は鼻歌気分だ。

 ところで癒し系音楽というジャンルが最近になって注目され始めてきたようだ。
しかし、癒し系と言われるゆったりした音楽ばかりが人を癒してくれるわけでもない。感情に同調した音楽は、すべて癒し系音楽なのである。
溢れんばかりのエネルギーを抱えた若者たちは、大音量のロックこそが癒し系音楽だ。
庭先で盆栽を眺めながら、詩吟をうなる老人の心は穏やかだろうし、バッハのマタイ受難曲に涙した修道女の心は清らかであろう。
自分を癒せる曲をひとつでも持っている人は、それだけで幸せものなのである。

怒りの唐辛子

癒し系音楽もさる事ながら、癒し系と呼ばれる料理も人気が高い。
しかし、ヘルシーイコール癒し系という短絡的な発想が、平気でまかり通っているようで僕は気に入らない。
体にいい料理と、心を癒す料理は別ものである。音楽同様そのときの感情に合った料理が、一番の癒し料理であるはずなのだ。
僕だったら憤懣やる方ないとき、ヘルシーな精進料理を出されても、ますますイライラがつのり、ストレスが溜まる一方である。気持が落ち着いてないと繊細な薄味を味わうのは到底無理なはなしなのだ。
そんなときはチゲ鍋や激辛ラーメンを勢い良く食うことにしている。怒りの度合いによって唐辛子の量を決める。流れ出る汗と一緒に怒りも徐々に流されていく気分だ。
最後はデザートにシャーベットでも食べれば怒りはどこへやら、気分はスカッとさわやか間違いなしである。

癒しのロシアンティー

それではどっぷりと落ち込んだ気分のときにこそ、癒し系料理を食べるべきなのだろうか。
でもどうせ食欲もないのだ。病気でもなければ別に無理して食べる必要もないだろう。そんなときの僕は普段作らない時間のかかる料理を作ってみることにしている。
元気はつらつで食欲旺盛なときに料理をつくると一刻も早く食事にありつきたいため、どうしても料理が手抜きになる。どのみち自分が食うものである。腹いっぱいになればどうでも良くなってしまうのだ。
そこでたまに落ち込んだときぐらいは、時間をかけた料理を作りながら、じっくりと哀愁にひたってみようというわけである。
例えばシチューをとろ火でいつまでもかき混ぜ続けたり、大量のタマネギをひたすらきつね色に炒め続けたりするのが哀愁にひたりやすい。ただぼんやりと時間をかけて、同じ行為を繰り返すことがポイントである。
この場合のBGMは、最初が悲壮なクラシックを選ぶと良い。交響曲や協奏曲などの大曲ならなお良い。
出だしが悲壮な大曲ほど、その続きはゆったりあっさりとくる。そして徐々に盛り上がり、最後は歓喜の世界へと誘うのが定番の流れだ。
これを聴きながら哀愁にひたりつつ料理をすれば、最初は重たかった鍋底をかきまぜるヘラも、最終楽章ともなれば不思議と軽くなってくるものだ。

僕もワンシーズンに一度ぐらいは落ち込むことがある。そんなときは季節のくだものを使ってジャム作りをする。
ジャムはとろ火でかき混ぜながら煮込むだけの料理だ。しかし煮込み方によってジャムの状態は変化する。煮込めば煮込むほど深い味になってくるのだ。
こないだひさしぶりにリンゴジャムを作ることになってしまった。ところがそのとき出来上がったジャムは以外にあっさりめだった。
僕はたいして落ち込んではいなかったということになる。
出来上がったジャムは紅茶に入れて味わうのが僕のお気に入りである。なんとも懐かしい香りにつつまれてホッとした気分にひたれるからだ。
このときの紅茶はクセの無いセイロン茶がお勧めである。


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