エッセイ
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続・美食なノラ 

 お茶吉との暮らし

 僕の音楽の作り方はDTM(ディスクトップミュージック)という方法である。簡単に説明するとコンピュータに音楽データを入力し、そのコンピュータで電子楽器を演奏させるというものだ。
 年々コンピュータの性能は向上するため、演奏できる発音数も増える。それにつれて年々僕の部屋の楽器や機材の数も増え続けていた。
 お茶吉と暮らしていた当時は機材の量もピークをむかえ、狭い部屋にあふれんばかりの機材を高々と積み上げて仕事に励んでいた。
 お茶吉は男の子のせいだろうか、そんな機材の山が大好きだった。相変わらずひょっこりと現れてはキーボードやアンプの上で昼寝をして帰っていく毎日なのであった。
 機材だらけで色気も何もない殺風景な僕の部屋は、お茶吉がやってくると不思議に空気が和んだ。作曲に行き詰まったときもお茶吉の昼寝姿を眺めるだけでホッと心が癒されたものである。
 僕はお茶吉を部屋に閉じ込めて、飼いネコに調教してしまいたい衝動に何度も駆られたが、お茶吉は風の向くまま気の向くままで、束縛されることを嫌う根っからの自由ネコだった。
 「お茶吉は図々しくて気まぐれなだけのルームメイトさ」
 いつも僕は自分に言い聞かせながら、クールな友だち関係を続けていた。
 しかし、そんなお茶吉との暮らしが三年続いたころ、とうとう大家にお茶吉の出入りが気づかれてしまった。
 最初のうちはとぼけたりごまかしたりしていたのだが、大家は僕と顔をあわせるたびに小言やイヤミを言うようになっていった。しだいに内容もエスカレートし、僕が部屋にわけのわからない機材を大量に置いておくことも気に入らないと言い出し始めた。
 「まったく、ウチは普通の人に普通の商売してるつもりなんだけどねぇ」
 必ず大家の小言の最後はこの言葉で締めくくられた。もはや大家の目から僕は普通の人ではなくなっていたのである。

 お茶吉との別れ

 さすがに追い込まれた僕は引越しを考えた。そしてそのとき初めて自分の中での、お茶吉の存在感の大きさに気づかされるのだった。お互い距離をもって付き合っていたはずなのに、お茶吉に会えなくなると思うだけで途方もない喪失感に襲われるのである。
 僕はさっそくペット可のマンションを見つけ、引越しの予定も立たないうちに契約した。もちろんお茶吉も連れて行くつもりだった。彼のいない生活は考えられなかったからである。
 ところが、引越しを決めたとたん、お茶吉は何かを感じ取ったのか、ぱったりと姿を現さなくなったのである。
 あせった僕はペット屋でネコキャリアを買ってお茶吉が現れるのを待った。次のチャンスには何が何でもお茶吉をネコキャリアに閉じ込め、新しいマンションに監禁するためである。いくら気まぐれなノラでもしばらくすれば飼いネコっぽくもなるだろう。そんなつもりでいたのだった。
 しかしいくら待ってもお茶吉が部屋の中に入ってくることはなかった。たまにベランダからこちらの様子をうかがうこともあるのだが、決して部屋の中に入ろうとはしないのである。
 そしてとうとう引越しの日がやってきてしまった。それでもお茶吉は姿を現さない。翌日部屋を明け渡すことになっていた僕は早々に引越しを済ませると、再び元の部屋へと戻った。最後のチャンスに賭けるためである。
 引越しが済んだ裸電球だけの部屋に、僕はネコキャリアとお茶吉の大好物のキャットフードを持ち込み、祈るような気持でベランダの窓を見守り続けていた。
 そして夜もふけ午前一時を過ぎたころである。待ちに待ったお茶吉はついに現れてくれた。窓の外から何もないガランとした部屋の中を不思議そうにキョロキョロとながめたあと、初めての出会いのときみたいにのっそりと部屋の中に上がりこんできた。
 僕は震える手でキャットフードの缶を開けた。僕の胸はお茶吉に聞こえるくらいに高鳴っていたのである。お茶吉はクンクンと匂いをかいでから両足を揃え、いつものように上品に食べ始めた。僕は頃合いを見はからい、そっとネコキャリアに手を伸ばした。その瞬間お茶吉は殺気を感じとったのか、さっとベランダの窓へ走り去った。
 「お茶吉ぃ!」
 僕は自分でもびっくりするぐらい情けない大声でお茶吉を呼んだ。するとお茶吉は窓の前で振り返り、今にも泣きそうな僕の顔をじっと見つめた。
 「戻って来いよ」
 切ない声で僕は哀願した。
 お茶吉はしばらく僕の間抜けな顔を真剣に見つめていたが、やがて眠そうに目を細めながら視線をはずすと、僕の心配をよそに、後ろ足で気持よさそうにあごを掻き始めた。僕は最後のチャンスとばかりにお茶吉に駆け寄った。しかしお茶吉は僕が触れるより先にベランダに飛び出し、軽やかに隣の屋根へ飛び移ってしまった。そしてシッポをピンと立てたまま二度と振り返ることなく夜の街へと消えていったのである。

 手作りバター

 僕がお茶吉と暮らしていたころ、近所に行き付けのとんかつ屋があった。オヤジ一人でやっている小さな店なのだが、いつもこぎれいにしていてメニューも豊富だった。
 オヤジはちょっとこわもて風に見えるが、気さくで腕も良い。もちろん揚げ物は上手だったが、なかでもカニクリームコロッケは絶品だった。
 「ホワイトソースはバターだけじゃダメだ、生クリームも使わなきゃ」
 ある日僕がカニコロをほめると、そう言ってオヤジは得意がり、料理のウンチクを語りだした。
 その時に教えてもらったのが手作りバターである。オヤジは僕の目の前でジャムの空きビンに生クリームを注ぐと、さかんに振りはじめた。すると生クリームがしだいに、さらさらした液体とバターっぽい固体に分離し始め、ついには手作り無塩バターが出来上がったのである。
 オヤジはこの方法でバターを切らしたこともなければ、生クリームを余らせたこともないという。
 僕はお茶吉の美食ぶりに対抗して料理を始めたころだったし、ちょうど凝っていた料理が、バターや生クリームが欠かせないパテやテリーヌなどの洋風練り物だったので、オヤジから教わった技はずいぶんと重宝したものである。
 そんなとんかつ屋のオヤジは話好きな料理人だった。遅い時間に店に入ると、余り物を使って酒の肴を作ってくれる。だが必ず材料を当てさせられた。僕がはずすとオヤジはまた得意がって長々と料理のウンチクを語りだすのである。それにしてもオヤジが料理を語るときの顔は幸せそうだった。
 
 僕は今でも仕事帰りに西日暮里を通ると、思わず途中下車してしまうことがある。そしてお茶吉と住んでいたアパートまで足をのばす。お茶吉を探してアパート付近をうろついた後には、とんかつ屋のオヤジに会いに行く。オヤジは手伝いをひとり雇い入れた。ちょっと老けたけど相変わらずの話し好きでカニコロもうまい。
 だけどお茶吉にはあの日以来会えてない。
 だから僕にとってのお茶吉は、今も変わらず、誇り高い美食なノラのままなのである。
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