エッセイ
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ステーキ・ド・ツナ・ロッシーニ風

 スイス軍の行進

 小学生のころ学校で一番のお気に入りは音楽鑑賞の時間だった。音楽室の大きなスピーカーでレコードが聴けるからである。その日の鑑賞曲はロッシーニのウイリアムテル序曲だった。この曲は、夜明け、嵐、牧歌、スイス軍の行進、と四つに分かれている。
 「この四つの中で一番良かったと思うのに手を上げて」
 曲を聴き終わるとさっそく先生が聞いてきた。みんな思い思いに手を上げたのだが、僕を含め圧倒的多数がスイス軍の行進を支持した。ところがそんな僕らを鼻で笑いながら先生はこう言い放ったのである。
 「君らは並だ」
 さらにその女教師は続けた。
 「君らみたいにまだまだ音楽を知らない人は、スイス軍の行進みたいにゴチャゴチャしたのが好きなんだろうけど、先生のように音楽をよく知ってくると牧歌のような音の少ないきれいな曲が好きになってくるんです。」
 いきなり音楽性が並だと判断されてしまった僕はそのときかなりヘコんでしまったのを憶えているが、ついでに「音楽をよく知っている」と豪語するその女教師のピアノが、当時の僕よりずいぶんヘタクソだったことも憶えている。 
 そして今も変わらず僕の一番はスイス軍の行進である。

 素材派と混ぜ派

 大雑把に音楽の好みと食の好みを二つに分けてしまえば、音や食材そのものの味わいを好む「素材派」と、音や食材の混ぜ合わせた味わいを好む「混ぜ派」に分けられる気がする。
 そんなふうに僕の周りの人々を観察すると食の好みと音楽の好みは一致している。あっさり系音楽スタイルのミュージシャンは素材派料理が好みであるが、こってり系音楽スタイルのミュージシャンは混ぜ派料理を好むのである。
 和食は素材派に属する料理であろう。そして日本の伝統音楽の形態も混ぜることを好まないシンプルなスタイルが主流だ。混ぜても鳴り物と吹き物ぐらいで、たまに大勢での合奏も見うけることもあるが太鼓や太棹など素材が同じ場合が多い。
 これに対しヨーロッパの料理は混ぜ派の料理である。そしてヨーロッパの音楽の歴史は音を混ぜ続けた歴史と言ってもいいだろう。オーケストラはその集大成である。
 まあ、だからといってヨーロッパの作曲家すべてが混ぜ派だったわけではない。ショパンは生涯ほぼピアノ曲しか作らなかったし、エリックサティーはピアノの響きまで質素を好んだ。そしてふたりに共通するのは、食生活が粗食好きの素材派だったということである。
 二人とも日本では人気の高い作曲家である。これはおそらく素材を味わい、季節感を重んじる和食文化の影響ではあるまいか。それはそれでいいことではあるのだが、どうも音楽と食べ物の好みについて、ただ訳もなく素材派が通みたいに信じ込んでいる人に出くわすことがある。あの音楽教師もその一人だったのかもしれない。両方混ぜ派の僕にとっては甚だ不満なのである。

 混ぜ派系作曲家ロッシーニ

 僕が選ぶ混ぜ派系作曲家の第一人者はやはりロッシーニである。
 確かにウイリアムテル序曲の牧歌は単音のオーボエとフルートが冴える「音の少ないきれいな曲」で素材派をうならせる名曲ではある。
 しかし僕に言わせれば牧歌は次に続くスイス軍の行進を、よりドラマチックに聴かせるための布石であり助走なのだ。
 静けさを打ち破る華麗なファンファーレに続き低中高の弦楽器と金管、木管、打楽器がいっせいに十六分音符を刻み始める。僕はハードロックですら、こんな強烈なシックスティーンビートを聞いたことがない。しかもこれほどの音の量がこれほどの速さで縦横無尽に動き回りながら、ひとつひとつの音の素材は寸分も色あせることがない。まさにこの音の混ぜかたは神の領域である。
 このような数々の名曲を残したロッシーニであるが、この歌劇ウイリアムテルを最後に突如音楽界から引退してしまう。そしてその理由が、料理に没頭し、レストランを開き、トリュフを掘らせる豚を飼育するためだというのである。
 こうして混ぜ派系大作曲家のロッシーニは、混ぜ派系料理人としてもその天才ぶりを発揮していくことになる。
 そのひとつであるロッシーニステーキも彼の音楽と同様に混ぜ方が半端ではない。世界三大珍味の二つ、フォアグラとトリュフをこともあろうにステーキと混ぜてしまうのだ。素材だけ並べれば、いかにも成金趣味のような取り合わせだが、味わってみれば素材の持ち味と相性を十分に引き出して絶妙な和音を奏でさせている。やはり音楽も料理もロッシーニはロッシーニなのである。
 彼は三十七歳まで好きな音楽を作り、後の半生を好きな料理を作って過ごした。そして音楽も喜び、食も喜び、その間には何の違いもなかったのだという。
 ああ、難しいことは考えずに好きなものを食い、好きな音楽を聴いて一生を過ごしたい。

 ステーキ・ド・ツナ・ロッシーニ風

 さあ、今回のレシピはロッシーニステーキだ!と言いたいところなのだが、なにしろ素材が高いし、手に入りにくい。僕もかつて二度ほど挑戦したのだが、この料理は家で作るべきでないことを痛感した。焼き方やソース作りはそうレシピ通りうまくいくものではない。味に不満が残ると金がかかっている分よけいに悲しくなるのだ。
 そこで今回は僕が開発した気軽で安上がりなステーキ・ド・ツナ・ロッシーニ風を紹介しよう。
これは友人からのおみやげで日本三大珍味セットをもらったことが、きっかけだった。 
 僕はステーキ肉の代わりにマグロを使い、その上に世界三大珍味の代わりにおみやげの日本三大珍味を乗せて食べてみた。だが思い知らされた。コノワタやカラスミと合うのは酒とご飯だけなのだ。新たにうまいものを味わうためにはロッシーニのように絶え間ない研究が必要だったのである。
 ロッシーニがフォアグラを使ったのは肉にコクと深みを与えるためだった。牛フィレ肉は上質で柔らかいのだがマグロの赤身と同じように淡白なのである。さらにソースペリグーのトリュフとマデラ酒の香りで、牛フィレをより品よく引き立てている。相性を考えた素材選びはさすがである。
 そこで僕が次に取り組んだのがマグロの赤身の淡白さにコクと深みを与える素材探しである。いろいろと試してみた結果、マグロの赤身と抜群の相性だったのが、ウニとアボガドだった。この二種類のソースさえこしらえてしまえばステーキ・ド・ツナ・ロッシーニ風の作り方は簡単である。
 さっとレアで焼いたマグロステーキの上に左右それぞれ半分ずつ、ウニソースとアボガドソースをたっぷりとかける。そしてその真ん中にはロッシーニがついに乗せなかった世界三大珍味の残るひとつ、キャビア!とはいかないのでイクラを乗せる。黄、赤、緑と彩りも鮮やかだ。付け合せには生湯葉とクレソン和えを置き、残ったソースを生湯葉にからませて味わえば皿もきれいになって言うことなしだ。
 この料理はマグロとソースがよくからむようにナイフとフォークで召し上がっていただきたい。食べ方のポイントは、とにかく「良く混ぜて味わう」である。
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