エッセイ
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うどんとモーツアルト


 ゴッドファーザー愛のテーマ

 今の僕にとって、うどんにはモーツアルトが欠かせない存在となっている。
 それは数年前のある出来事がきっかけだった。その日いつものように僕は寝坊してしまった。朝飯も食べずに家を飛び出し、目的の駅に着いて地下鉄の階段を駆け上がると、通りの向こうに立ち食いそば屋が見えた。そば屋を発見すると急に腹が減る習性の僕は、時間がないにもかかわらず、うどんでも食ってやろうと、その店に向かってしまったのである。
 ところが店に足を踏み入れた僕を待ち受けていたのは、客のいない店内に鳴り響く「ある愛の詩」のテーマ曲だった。しかもBGMとは呼べないほどの大音量である。聞き覚えのある華麗極まりない演奏はポールモーリアグランドオーケストラによるものだった。
 「てんぷらうどん!」僕は「ある愛の詩」に負けぬよう大声でカウンターの中にいる小太りのおやじに叫んだ。おやじは何が嬉しいのか体をゆっくり左右に揺らし、ニコニコしながらうどんを作り始めた。ようやく出てきたてんぷらうどんは、これでもか、というぐらいアツアツでつゆたっぷりのうどんだった。
 曲は「ある愛の詩」から、同じニーノロータ作曲の「ゴッドファーザー愛のテーマ」へと変わる。急いでいる僕はつゆを飛び散らせながら、懸命にうどんをすする。BGMは相変わらずの大音量で哀切のメロディーをくり返す。ひたすら食べ続ける僕は、なぜかたまらない気分になってくる。曲は音の厚みを増しながら、さらなる盛り上がりを続ける。つゆを飲み干さなければ気がすまない僕は必死の思いで熱いつゆを飲む。「ゴッドファーザー愛のテーマ」はクライマックスにさしかかり音が一瞬ピタリと止む。最後のつゆを飲み干す。と、同時にティンパニが轟き、切り裂くようなストリングスがフォルテシモでなだれ込む。
 「ど〜ぞひとりで泣かないでぇ〜」
 なんと、その瞬間にカウンターの奥から聞こえてきたのは、あの小太りおやじのすさまじいテノールだった。
 おやじはサビを待ちかねて突然「ゴッドファーザー愛のテーマ」の日本語版をオケに合わせて歌いだしたのである。しかも編曲通り正確に一音半転調して情感たっぷりにである。
 僕は、空になったどんぶりをぼう然と見つめていた。感動してしまったのである。

 第五番「運命」

 感動屋の僕が自宅に戻ってポールモーリアを聞きながら、うどんを試してみたことは言うまでもない。
 だが、しらけた。ほぼ予想通りだった。人は冷静さを失わないと感動は起きにくいものである。
 それにポールモーリアはちょっと古い。音楽は不思議なもので、中途半端に古いものほど、古臭さを感じてしまうものである。だけど本当に古いものは、なぜか常に新しい。
 僕は再びあの感動を求め、次のうどんには本当に古いクラシックを選んでみた。
 手始めはベートーベンである。まずは有名なシンフォニー五番だ。ジャジャジャジャーンと同時に勢いよくうどんをかきこんでみると、気がついた時にはどんぶりが空だった。演奏が早いカラヤン指揮ベルリンフィルも手伝ってか、五番一楽章はそれほど猛烈にうどんを食わせる迫力があったのである。
 やはりベートーベンの力強さはうどんに象徴される。北島三郎の歌のように和風でコシがあるのだ。
 思いがけずうどんとベートーベンの抜群の相性を発見してからは、勢いだけではなく、一楽章のストーリーに合わせた食べ方を研究するようになる。ホルンに続くアダージョの部分ではゆっくりとつゆを飲み、展開部のタイミングでは七味を投入し、数々のテクニックを身に付けていった。
 ところが、それもしばらくするうちに疲れてきた。毎回そう力んでうどんを食ってばかりもいられない。
 次に試してみたのは小太りおやじにちなんだテノールである。
曲はオペラ名場面集のCDからヴェルディのアイーダを選んだ。ラダメス役であるドミンゴのリッチなテノールがうなりだす。なんとも食欲をそそる声だ。しかも彼が悲壮に歌えば歌うほど僕は陽気な気分になり、ますますうどんが進むのである。さすが食の本場イタリアだ。みるみるうどんを豪華なパスタ料理に変えてしまった。

 交響曲四十番

 ドイツのベートーベンは重かった。けれどイタリアのテノールは陽気すぎた。そこで僕はドイツとイタリアに挟まれた国オーストリアへ飛ぶことにした。
 いよいよモーツアルトの出番である。僕は狙いを定めて交響曲四十番をかけた。あっけないほど何気なく秀逸なテーマが始まる。僕は静かにうどんをすする。弦楽器たちがその細やかな旋律を転がすように、モーツアルトの哀しみもコロコロと転がり続ける。
 「ああこれだ!」あの日のようにたまらない気分になってきた僕はどんぶりに向かってそう叫んだ。
 小林秀雄が評するように、涙が追いつけないほど「モオツアルトの哀しみは疾走」するのである。
 ポールモーリアやベートーベンの哀しみは、タキシードを着たヒゲづらで汗だくのパヴァロッティ百人が、泣きじゃくりながら押し寄せてくるのに対し、モーツアルトの哀しみは、ひとりぼっちの少年が唇をかみしめながら目の前を駆け抜けてゆくのである。
 僕はいつもより繊細に、だけどアレグロなテンポで無心にうどんをすすり続けた。そして食べ終えたとき訪れたのは、さわやかな感動だった。もはや涙も汗も追いついてはこられなかったのである。

 鴨南蛮うどん

 さて、今回のレシピはもちろんうどんだ。鴨南蛮である。鶏モモでも十分だが、あえて鴨を使う気持の余裕がモーツアルトっぽくて粋なのだ。合鴨なら比較的手に入りやすいのでぜひ試していただきたい。
 食べ方も粋にしたいものだ。小さん師匠の名人芸のように、熱いうどんをふうふういいながら、小気味いい音をたてて食えれば言うことなしである。ついでにダシも粋に決めたい。一人前といえども麺つゆを使わず、ちゃんとダシをとるところが見栄っ張りの江戸っ子らしくてますます粋だ。
 作り方のポイントは、油をひかぬフライパンで、ネギをモーツアルトの哀しみのようにコロコロと転がしながら焼き色をつけることである。
 うどんは作り出してから食べ終わるまでが、あっという間の展開で進む料理である。そんな儚くも粋なうどんを堪能するには一人に限る。会話は邪魔になるだけだ。
 だからこそ雰囲気を盛り上げるBGMが大切なのである。僕は今のところモーツアルトだが、人それぞれであろう。選曲は最後のつゆを飲み干し、プハーッと息を吐いたときの満足度で決めればよい。


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